2024年 リンツ美術工芸大学交換留学体験記(後編):現地の授業と学生との交流/ヨーロッパ周辺の美術館を巡って
こんにちは、博士前期課程2年の山口結子です。
この度はリンツ交換留学プログラムで3ヶ月の留学をさせていただきました。私はIAMASでコミュニケーションの分野に注目し、その中でも他者との関わり合いを俯瞰的に見る行為の創出、時間や距離の中で生まれる関わり合い方、コミュニケーションの変化についてを研究しています。
4月?6月の3ヶ月間滞在した留学での様子や生活などを皆さんにお話ししたいと思います。
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Interface Culturesの学生との交流?授業
イースター休暇を経て4月の8日、二週目から大学へ登校しました。
初登校日の次の日から気になっていた講義が開かれるとのことだったので、翌日の講義から現地の学生と交流をスタートしました。
Interface Culturesはハウプト広場の方にある校舎ではなくドムガッセの校舎の3階にあります。真ん中に廊下があり、その両端にパソコンルームや学生達のデスク部屋があるというIAMASに似た構造です。その上の階には制作スペースがあり、機材などがおいてあります。コンパクトながらもとても制作しやすい環境です。
また、学生、先生憩いの場としてキッチンが併設されており、学生達がこぞって料理をしたり談笑したりしています。時折、小さな学生も遊びにきます。
Learning LinzとArs Electronica Festivalに向けての学生プレゼンテーション
「現地の講義は自由にとって良い」という贅沢なスタイルでの交換留学なのですが、私は留学に行く前から気になっていた「Learning Linz」の講義が全体を振り返った中でもとても心に残っています。
Learning Linzではその名の通りリンツを学ぶのですが、ただ学ぶのではなくリンツ市内での芸術、文化の取り組みにあたって助けになるような場所。つまり、ギャラリーや劇場、コミュニティーセンターなどを巡り、その成り立ちや意義を学ぶ講義です。
小さくてコンパクトな街にこんなにもコミュニティーがあるのか!と驚くほど、リンツには様々な形で文化活動を支える場所が沢山ありました。
毎回の授業で、アーティストやスタッフの方々のお話を聴きつつ、「日本にも小規模でアットホームな創作、発表スペースがあったら…」と妄想してしまうほど、毎回の場所がとても粋で且つ、温かいのです。
街全体でアート、デザインなどクリエイティブなことを後押しする様子は日本ではあまり見られない光景なので、もっとこのような動きが日本でも広まって欲しいな、と帰国した今も常々思い出してしまいます。
遊び心に溢れた制作スペースやコミュニティースペースには毎回心踊らされました。
Ars Electronicaの展示に向けて、学生プレゼンテーションを聴講
ハウプト広場、レントス美術館もリンツの見どころではありますが、IAMAS生またメディアアートに関心のある方ならやはり「Ars Electronica」の存在は外せないのではないでしょうか。
秋ごろになると、Ars Electronicaが主催する「Ars Electronica Festival」がリンツ市内で開催されます。そしてこのフェスティバルの中で、Interface Culturesは展示の枠を持っており、毎年学生達の作品が並びます。
Interface Culturesの学生なら誰でも展示できる、というわけではなく。フェスティバルの数ヶ月前に学生プレゼンテーションが学内で行われ、選ばれた学生の作品がフェスティバル時に展示出来るという仕組みになっています。私はフェスティバルには間に合いませんでしたが、学生達がアルスエレクトロニカの舞台を目指してプレゼンテーションに取り組む様子を見ることができました。
IAMASでも年次発表や構想発表とプレゼンテーションをする機会はありましたが、Interface Culturesのプレゼンテーション会場は小さなレクチャールームで、そこに先生も学生もぎゅうぎゅうになって始まるのがIAMASとは違った体験で記憶に残っています。
Interface Culturesの学生の作品案はIAMASの学生と比べると作風は抽象的なものが多い印象を受けました。また、小さな電子工作やプロトタイプを用いて説明する姿が印象的で、資料ベースで説明するIAMAS生との違いから、説明方法の多様性に気付かされました。
リンツ市内の鑑賞体験
The Ars Electronica Center
Ars Electronica Festivalの中心であるArs Electronica Centerは、8Kシアターやバイオラボなどを併設し、オーストリア?リンツ市を拠点に約40年にわたって「先端テクノロジーがもたらす新しい創造性と社会の未来像」を提案し続けてきた、世界有数のメディアセンターです。
ガラス張りのファサードから見える近未来的な建物に入ると、学校から来たと思われる子どもの団体や観光客で賑わっていました。日本でArs Electronica Centerを調べていた時とは異なり、現地では「すごいテクノロジーで何か分からないことをしている」場所という印象ではありませんでした。むしろ、AIやバイオテクノロジー、サウンドスタジオ…といった技術が、私たちの日常とどのように結びつき、どのように活用されているかを開示し、理解への扉を開く場所だと感じました。ここでは基礎的な理解をサポートし、広く一般の人々にテクノロジーを身近に感じさせる取り組みが行われていました。
こうした基礎が根付いているからこそ、Ars Electronica Festivalという応用的な表現が街の人にも受け入れられている。だからこそフェスティバルが長く続いているのだと感じました。
Lentos Die Reise der Bilder
まず初めに、皆さんはリンツとヒトラーに深いゆかりがあることをご存知でしたでしょうか?
ヒトラーはリンツ近郊のブラウナウ?アム?インに生まれ、生家から引っ越した後、少年時代をリンツで過ごしていました。そして、この少年時代がその後のリンツへの政策に多大なる影響を及ぼしました。
レントス美術館で開催されていたこの展覧会は、ヒトラーが政権を握っていた時代に行われた美術品の剥奪から、奪還までの時期を追った企画展でした。日本を離れ初めに見た展示がこのようなリンツの土地と歴史に深い関わりのあるもので、とてもインパクトを受けた事が今でも心に残っています。
展覧会を通して、文化的バックグラウンドの違いを受けて
この企画展を見るまで、恥ずかしながら私はリンツとヒトラーの関係については全く知識がありませんでした。展示物を見ながらその歴史を学び、こんなにもリンツとゆかりのある人物だったとは…と気付かされました。また、ドイツ、オーストリア含めヨーロッパ諸国がナチス政権下時代の反省と振り返りをここまでしているのか、とアートシーンの所感云々よりもヨーロッパという地域の歴史の深さに驚かされました。
日本もかなり自国の歴史を深いところまで語ってゆけますが、別々の国や言語、文化からなるヨーロッパの歴史に日本とは違う重みを感じました。
オーストリア国外の施設へ
リンツでの生活にも慣れた頃、また帰国前の期間を使ってドイツとイギリスの2カ国に行きました。ドイツには5月の頭、イギリスには帰国前の6月終わりに行き、オーストリア国外のアート施設を訪れました。
ZKM(ドイツ)
5月の始めにはリンツからOBBとドイツICEの高速列車を使ってZKMのあるカールスルーエまで行きました。リンツから行くと、ほぼドイツを横断するルートになり、片道なんと6時間!途中で乗り換えがたくさんあり、行くのはとても大変でしたがそれでも満足できる素晴らしい施設でした。
ZKMはカールスルーエ造形大学が隣にあり、その学生と思われる方達が講評を受けている様子も見られました。1997年にナチス時代の兵器工場を改修して開館した館内は、沢山の天窓で明るく、広々としていました。
階段で1階へあがり、まず始めに入ったのは現在改修工事中のカールスルーエ美術館のコレクションを展示しているスペースでした。カールスルーエ美術館@ZKMとして、中世後期から戦後モダニズムまでの約 500 点の展示品を見ることができました。ZKMというメディアアートの施設でこのような中世の美術品を見ることは予想していなかったのですが、ZKMだからこそ様々なジャンルを展示することができる柔軟性を持ち合わせているのではないかと感じました。また、様々な流派や時代、表現方法が1箇所に集まり展示されていることに新しい文脈やつながり方を考えることができ、とても興味深い体験でした。
その後、2階へ上がり常設展示のzkm_gameplay.the next levelへ。デジタル社会の主要なメディアとして発展しているコンピューターゲームに焦点を当てた展示でした。会場全体がカラフルでとても可愛らしい空間になっており、もちろん!ゲームで遊ぶことができます。
レベル1から5までのセクションに分けられ、レトロゲームからインディーゲームまで網羅されていました。任天堂スーパーマリオのような誰もが慣れ親しみのあるゲームだけではなく、美的で想像的なゲームや政治的なゲームまでが集められており、現代における「ゲーム」というメディアがどのように生まれ発展していったのかが分かりやすく展示されていました。
また、ビデオゲーム文化を芸術的な文脈で展示する環境を提供したのは世界で初めて、ZKMなのだそうです。メディアアート施設として有名なZKMですが、アートのみならずゲームを愛する方々にも訪れて欲しい場所です。
Tate Modern(イギリス)
留学後期にはヨーロッパ大陸を飛び出して、イギリスへ渡りました。日本からイギリスへ向かうと何十時間と長いフライトを経てやっと着く、という印象ですがオーストリアから向かうとわずか2時間と、大垣から東京へ向かうくらいの気軽な気持ちで行くことが出来ます。これもまた新しい体験でした。
イギリスには2泊3日と短い間しかいなかったのですが、その中でもTate Modernの印象が特に深く残っています。
ZKMと同じくTate Modernも美術館として建てられた場所ではなく、元々は別の施設だったのだそうです。バンクサイド発電所をテート?ギャラリーが買い取り、1947年と1963年の二度の改修工事を経て完成した美術館です。外から見ると大きな煙突が一本建物の中央に聳え立っており、火力発電所の名残が伺えます。
建物に入ると、タービンホールが広がっておりとても感動しました。入り口から続く下り坂がホール中央まで繋がっており、より空間が広く感じられる気がしました。歩きながら横を見ると坂で転がっている子どももいたり、座っている人もいたり、とても自由な空間でした。今回は時間の関係上無料で開放されている展示室を見てまわりました。今振り返ってみると、有料の展示室も含めていたらかなり長丁場になっていたなと感じます。とても所蔵数が多かったです。
2000年に開館したTate Modern。美術品を年代ごとに並べるのではなく、テーマごとに並べる展示方法は当時としては珍しかったようです。今ではテーマごとの展示というのは当たり前になっていますが、Tate Modernがその先駆けだったことは知りませんでした。また、巨大なスペースを存分に活かした展示方法も日本では得られない貴重な体験でした。
Tateの公式webサイトではWays of Looking at Artというページがあり、私はそこでの鑑賞者がどのように捉え、鑑賞しても良いという鑑賞者の想像性を尊重する手引きの仕方にとても感銘を受けました。また、その考えが自身の作品を他者に向けたときの姿勢にもなっています。
留学を通して
IAMASに入学する前からこの留学プログラムに興味を持っていました。しかし、2年間という短い修士生活の中で留学に行くことが出来るかは研究の傍ら悩んでいた部分でもありました。修士1年生では募集を見送りましたが、研究を進めていく中で、一旦外に出て見ることも必要なのではないかと思うようになりました。また、それと同時に学外にいても研究が破綻しないように、制作ができるようにする環境作りには入念な準備をしました。日本から出る直前まで不安で一杯だったことを、振り返った今思い出します。
前編の足彩澳门即时盘_现金体育网¥游戏赌场でも書いていますが、自分の出来ること、自分ならではの表現を振り返ることができたことは今回の体験で一番かけがえのない学びでした。一人で海外に行くこと、修士研究を背負って学校を離れること、一抹の不安を携えた修士2年生での留学でしたが、「行ってよかった」それだけが今も心に残っています。この場を借りてサポートをしてくださった先生方や先輩、同期の友人、渡航にあたってのサポートをしてくださった事務局の方々、何より家族に感謝いたします。ありがとうございました。
また、ここまでお読みくださった方々もありがとうございます。それでは、Danke sch?n! Ciao ciao! Tschüss!
おまけ
この3ヶ月私がIAMAS Discordで同級生や後輩に共有していた記録漫画です。その一部をご紹介する機会をいただきました。