2022年 リンツ美術工芸大学交換留学体験記 #2 学校生活とヨーロッパの芸術祭
こんにちは、足彩澳门即时盘_现金体育网¥游戏赌场博士前期課程2年に在籍中の新垣です。前回の投稿から時間が空いてしまいましたが、リンツ美術工芸大学での交換留学足彩澳门即时盘_现金体育网¥游戏赌场の続きを書きました。今回の記事では、リンツでの生活から授業について、そしてヨーロッパで開催された芸術祭を紹介し、それを踏まえて、メディアアートについて考えたことを記述します。
リンツでの生活
今回の留学は、非英語圏での生活自体が初めての体験でした。まず、オーストリアでの生活は日本のシステムや常識とまったく違うため、多くのことに驚きました。例えば、電車。オーストリアの電車には改札がありません。あるのは、切符に入場時間を刻印する刻印機があるのみです。通称「信用改札方式」というシステムで運用されています。
建物そのものも大きく異なります。日本の多くは現代的な建築様式で作られた建物が多いですが、ヨーロッパ圏は昔ながらの中世の名残を感じさせる建築物が多いです。その中に現代的なフランチャイズのファストフード店が入っている光景は、ある意味では異様にも映ります。
街を歩くだけで、僕たち「日本人」が観ていた世界とは違う価値観の中で生きていることを体験することができます。
リンツでの生活は学校生活が中心でした。リンツ美術工芸大学では、個人の研究机が用意され、パソコン室が充実していたので、制作に没頭することができます。
しかし、なにより良いと感じたのは、キッチンの存在です。キッチンはその名の通り、IHコンロや冷蔵庫が用意され、共有のお皿やコップがあり、みんなで食事ができる場所です。
この場所では、食事を介してコミュニケーションをすることができ、交流を深めることができました。
10月から授業がはじまりましたが、主にプログラミングや基礎的な技術の授業や、プレゼンテーションなどを中心に構成されていました。
自分はプログラミング言語であるMax/MSPを学ぶAUDIO-VISUAL INTERACTIONという授業を熱心に受講しました。
授業内では、Maxを用いた音楽作品の紹介を自分が担当し、その際にIAMASでの主指導教員である三輪教授の「逆シミュレーション音楽」を紹介しました。学生は熱心に視聴してくれました。
自分が所属するInterface Culture学科の校舎とは別に、ドナウ川に位置する本校舎には図書館やファインアートやデザイン、彫刻学科の学生が生活をしています。中庭があり、ARS ELECTRONICAの期間はキャンパス内でサウンドアーティストによるライブや、DJのパフォーマンスが開催されていました。
ヨーロッパの周遊と、芸術鑑賞
リンツに到着した9月からの1ヶ月間は授業が開講されない期間だったので、自由な時間となりました。その間に、私はEU各地で開催される芸術祭に足を運び、ヨーロッパの芸術を堪能しました。その一部を紹介していきたいと思います。
まず、留学の大きな目的の一つと言っても過言ではない、メディアアートの世界最大の祭典「ARS ELECTRONICA」です。開催地は、留学先のリンツです。
リンツの中心街から少し離れたヨハネス ケプラー?リンツ大学がメイン会場となっており、それ以外にもリンツの各地でさまざまな作品が展示されていました。
メディアアート界の巨匠ともいえるアーティストの作品を生で体感できるのもARS ELECTRONICAの魅力の一つです。前衛芸術家であり、音楽家のLaurie Andersonのオーディオ?ビジュアルパフォーマンスはとても印象的でした。
2022年のヨーロッパの秋は、芸術祭にとても恵まれていました。5年に一度開催される「ドクメンタ 15 (Documenta fifteen)」と、2年に一度開催される「ヴェネツィア?ビエンナーレ(La Biennale di Venezia)」、そして「ベルリン?ビエンナーレ(Berlin Biennale)」が同時に開催される年でした。メディアアートにフォーカスしたARS ELECTRONICAと異なり、3つとも現代美術の祭典であり、とてもインスパイアされる作品が多く展示されていました。
各芸術祭の細かい感想等は省略し、ARS ELECTRONICAと比較して、メディアと芸術の観点から全体の感想を述べます。
ロザリンド?クラウスが「ポストメディウムの時代の芸術」において、伝統的な芸術に対して、現代の芸術はメディアが領域横断的になり、メディアに捉われない表現の可能性について述べたように、ヴェネツィア?ビエンナーレやベルリン?ビエンナーレ、ドクメンタ15もまさに、それが強く反映されていた印象でした。
油画や彫刻のような伝統的なファインアートのアプローチの作品もあれば、VR/ARのような先端技術を用いた作品も同列に扱われていました。特に映像を用いた作品は、どちらの芸術祭でも目立っており、ジャーナリズム?アクティヴィズムとも強く結びつき、政治性が強く表現されていました。現代の芸術を取り扱う上で、政治や文化、社会との結びつきを無視することはできません。特にドクメンタ15は、芸術史や美術制度に真っ向から対立するステートメントを掲げ、作品をキュレーションしていました。
このようなメディアアートに捉われない芸術の領域でも、メディアが領域横断的に用いられ、社会を表現することが主流な時代において、「メディアアートの祭典」を掲げる「ARS ELECTRONICA」が開催される意義は何でしょうか?
ARS ELECTRONICAでは、自分にとって面白い?興味深く感じる作品と、そうではない作品のコントラストが明確でした。
面白い?興味深く感じる作品は、パフォーマンスなど、身体をメディアとして捉え、前衛的な表現に挑戦したりした作品や、音楽の舞台芸術などが目立ちました。メディアアートに捉われない、芸術や美術の考え方に向きあい、人類の「営み」について問いかける作品です。
一方で、興味を引かなかった作品はどのようなものだったのかを説明します。それは、いわゆる「社会実装」を目的としたリサーチと、その「成果物」としての作品でした。
例えば、テクノロジーとしての「VR/AR」や「AI」、または「データ」などを用いて「社会で問題とされる○○の解決に役立てました!」といった形式的な作品です。確かに、リサーチと成果物としては一貫性があり、自分では実現できない技術を用いて「社会に貢献している」と言えます。しかし、それが「アート」として成立しているかについては疑問を抱きました。
2022年は日本でもメディアアートの大きな転換点となった年でした。それは文化庁メディア芸術祭の公募が終了した年でもあります。この背景には、文化庁が掲げた「メディア芸術」という概念のあり方が変容していることが関係しています。メディアアートや、現代芸術のみならず、エンターテインメント、デザインなども含めて、大きな枠組みでの表現物を「アート」として掲げていた「メディア芸術」が、概念として成立しなくなっているのが昨今の状況ではないでしょうか。
ポストメディウムの時代において「メディアアート」はどのような意味を持つのでしょうか?すぐに、「これだ」という回答を出せるわけではないです。しかし、こういった状況だからこそ、メディアを使って何かを作るだけではなく、メディアを取り巻く環境や、表現する意義について改めて考える必要があるのだと、今回の芸術祭の周遊で強く実感しました。
上記はあくまでも自分の感想ですが、もし、将来リンツに留学することがあるなら、是非ARS ELECTRONICAのみならず、さまざまな芸術祭にも足を運び、各芸術祭を比較しながら、アートや表現することについて学ぶことを強く推奨したいです。